期末試験について
学生にとって、学期で最も重要なのは成績のようだ。伝統的な美徳である「泥縄式勉強」を貫き、期末の半月はほぼ毎日猛勉強した(もちろんサボる時もあったなぜ16週目にも実験があるんだ、くそ)。とにかく落第はせず、点数は高くないが満足している(一日で空気力学を学び終えて70点以上取る実力は言うまでもない)。
そしてまた「新学期こそちゃんと勉強する」という嘘の決意を口にするのだろう、笑。 だが本当に勉強すべきだ、そうでなければどうやって博士課程を卒業するのか?
博士課程について
私は「銭班」の学士・博士一貫コースを選んだが、4+3の早期卒業のためでも(そんな実力もない)、より高い給与や「社会的地位」をもたらす学位を求めるためでもない。昔「Doctor」を「博士」と翻訳した人は、その「博学博聞」の名声を強調したかったのだと思う。
「人に博士進学を勧めるのは罪」と言われ、留年や鬱に悩む人が多い中、私は自分で創造し、前人未到の成果を生み出してみたい。肩書きのためでも、派閥のためでもなく、人々のため、人類の利益のためだ。
以前にも言ったように、
私の物質的要求は家族を養えるだけで、現状では難しくない。だが学士課程の学識に満足していない、4年学んでもまだ入門すらできていない気がする。 何十年、何百年も前に先人が探求した知識に縋って、日進月歩の現代を生きるのか?最先端の学問に触れる機会を捨てて家計維持に安住するのか?私にはできない。 才能のない私が学術的に大成できないかもしれないが、人類の開拓と革新の勇気を捨ててはならない。少なくとも最前線の証人となり、世代を超えて物質と精神の束縛に挑む姿、文明が穏やかな揺り籠から未知の深宇宙へ向かう姿を見届けたい。 新たな知を得る快感を手放せない、 私はすでに空に触れたのだから。
今日は大言壮語が多すぎた、心の底では自分に何かを変える力などないと思っている。おそらく平凡なまま、論文を水増ししてどうにか卒業する学術ゴミになるだろう。 だがとにかく試すべきだ、行動すべきだ、山がそこにあるから。
家族について
深刻な話題の後は、軽い話題を。
8月に母が武漢同済で手術を受けた時、2週間付き添った世話とは言いにくい。子宮摘出後2ヶ月休養し、元気になったが、また早出遅帰の仕事に戻ってしまった、はあ。
家族には特に心配事もなく、平穏だ。
冬に祖母が作ってくれた卵の甘いスープが懐かしい。
友人について
学校生活は相変わらずで、電子設計コンテスト以外は特に波乱もなかった。友人たちも変わらず、好きな人は元気で、それぞれの生活を送っている。 天涯地角、知己は半ば散り散りに。
ハンガリー旅行について
宇宙科学院の冬休みブダペスト工科大学訪学プログラムに申し込み、2週間滞在して帰国する準備だ。
将来の勉強に関係のないAI応用を学び、本当に役立つスキルを期待しているわけではない。
初めの数日は現地の食事がまずく、どうやって生きているのか不思議だった。後で地元のレストランでグヤーシュ(牛肉とジャガイモ、ニンジン入りのスープ)を食べ、確かに美味しかった。豚足も絶品で、量が多いなのに関節と訳すのはなぜ?。
ステーキは論外で、レア過ぎて切れず噛み切れない。パンもパサパサで、サラダは石のように硬い。
印象的だったのはトイレで、見たすべてのトイレが清潔で、定期的に清掃されトイレペーパーが補充されていた。手洗い用洗剤、乾燥機、ペーパータオルも完備(驚)。寮のトイレには便器洗浄用シャワーヘッドと洗剤漬けのブラシまであった。すべての水道で24時間冷水・温水が使え、暖房が効き過ぎて室内が暑いこともしばしば。 唯一の残念点は公衆トイレがほぼなく、有料の場所もあることだ。 先進国は金があり、資源をふんだんに使える。中国の北方で暖房を買えず、南方でエアコンを使えない人々を思うと胸が痛む。 世界には苦しむ人々が多すぎる、まだまだ努力が必要だ。
お土産を買ったが、友人に先に見られるとサプライズが台無しなので詳細は伏せる。
あとがき
明日帰国して新年を迎える、とても懐かしい。 残り半分の冬休みは『通信原理』をしっかり勉強するつもり(するかもしれないし、しないかもしれない)。 新年の幸せと平安を祈る。 2025年1月24日

いつまた一杯の酒を飲み、細かい論文を議論するのか。